これは私が、ISUZUの次期社長の関さんに、1990年に口頭で言ったことが書かれたバージョンです。 ここで書かれているのは、経営者が製造会社でどう行動するべきであるかに関する私の哲学です。 関さんは、彼が社長になった後に、この哲学を使用して「現場第一主義」と言う社長方針を掲げました。私が以下で書いた経営哲学は、どのような製造会社にも通用すると信じて書いたものです。
生甲斐を感じ、活力のある製造現場にするには
- 労働者を尊敬する心構え
- 労働者に、働き甲斐のある環境を与える
- 働くという価値観が、生甲斐を感じるものに変わっていく
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人の人生の大部分が、働くという時間に費やされています。すなわち、働くという時間の価値観が、人生の価値観に大変大きく影響するといっても過言ではありません。作業現場で働いている人が、会社にただ労働力を提供しているという状態であれば、人の人生の働くという価値観の中で、単調で空しいものになってしまう。
人々は自分達が成長と成熟しているとき、人生の生甲斐を感じます。
人がチームの一員として、変化を作り出したときや、集団の一員として注目を浴びた時、その人は人生に対して、満足と生甲斐を感じます。
高収益、きれいな職場は満足を与えますが、生甲斐を与えるとは限りません。
満足感は人の願望が実現した瞬間を言い、満足したと思ったときに、生甲斐は消えます。
満足感を人生の中で維持するためには、又、生甲斐を維持するためには、新しい目標を設定して、チャレンジし続けなければ生甲斐も次の満足も得られません。
我々は、製造ビジネスの中で生きています。
我々が上げる利益が、製造現場と販売からももたらされるといっても、過言ではありません。もし、我々を支えてくれている(製造現場の)人々が、働くという事に価値観を感じないならば、我々の未来は暗いです。
これらの労働者を唯一労働のみとしてしか取り扱っていなく、労働の数としてしか考えず、労働に価値観を見出せない製造会社は、弱い経営体質をもたらします。
この体質をより強くするためには、真の問題を顕在化させる必要があります。
現場で働く人々には、常に明確な目標と、現場をよく変化させる意思と願望が無くてはなりません。彼らを中心とした改善活動を行わなければなりません。
これにより、労働者が活力とバイタリティーに満ちた状態になって行きます。
現場に焦点を置くことが、最も重要です。スタッフや他の人々は、現場をサポートし、変化させる事が唯一の仕事であると認識しなければなりません。
大部分の工場は、私が言った様な状態でないのは悲しいことです。現場が重要であるとは思われていません。ただの労働力としか考えられていません、ほとんどの工場では、中間管理職(スタッフの人々)は、唯一彼らの上司を喜ばせるために働きます。 ほとんどの中間管理職は、彼らの上司を喜ばせるための偽りのドキュメントの作成と報告に殆どの時間を費やしています。更にひどい事は、彼らは、現場の大切な生産時間を、自分達の都合の良いドキュメンテーションを製作する事に協力させています。スタッフの人の利益になるよう情報を編集して、現場をいかによく管理しているかのごとく見せ、自己評価を高めるために、これらの偽りの報告をします。これらの感性は許しがたいです。 現場の人たちが彼らのこれらの行為を見る時、彼らに対する信頼と尊敬の心は無くなり、失望し、やる気を無くしてしまいます。
この様な中間管理職の人々を現場に視点を置いた仕事に、そして様々な技術部門のスタッフの人々が同様に現場をサポートして、現場の現実の価値を常に高める仕事が、本当に価値のある仕事であると評価出来る様な環境状態に、我々は真剣に変化させる必要があります。
私自身の、製造現場に焦点をおいたKaizen実践経験 |
私は鶴見製造所時代、良い上司に恵まれ、土井の思う様にやってみろという事で、現場に視点を置いた鶴見製造所の体質改善を手がけさせてもらった。
その内容についてISUZUの体質改善の参考になればと思い、述べさせてもらう。
所長が来られる前から、一個加工一個流しの全面展開、段取り時間のシングル化等、現場改善を現場と一緒に進めていたが、所長が来られてから本当の鶴見製造所全体の体質改善をやったと感じている。
先ず手掛けた事は、スタッフの意識と行動を現場に焦点を当てさせる為のスタッフの意識改革であった。当時、全社的にタフ活動と言う事務の合理化活動があった、その活動をうまく使い、スタッフの意識改革に着手した。先ず、所内の全スタッフを集め、スタッフへの本来の仕事は何かを問いかけた。
所内で発生する生産活動に伴う情報、川崎工場への納入計画、納入実績、納入指示、生産計画、生産実績、品質不良実績、機械故障実績、在庫実績、生産性実績、保全工数実績、経費予算と実績、等の情報を扱う計算・編集・報告業務は、本来人間の仕事ではなく、コンピューター(機械)の仕事であると、本来人間の仕事はクリエイティブなものであり、今、我々が預かっている現場の体質をどう変化向上させるかである。どうすれば品質が向上するか、生産性が向上するか、在庫が低減するか、機械故障を撲滅できるか、川崎工場のアッセンブリーラインに必要な物をタイムリーにより良く供給出来るか、等々であり、それは現場の人、物、設備、情報の質を実際に向上させるかである。その為には、先ず自分達の仕事を見直し、自分達で、本来のスタッフの仕事に変革して行うと、先ず、スタッフ全員で所内の業務のフローを造り、情報の流れを整理し、パソコンによるシステム化を立案した。並行してパソコンのプログラム教育を実施し、自分達で自分達の仕事をパソコン化することを原則に進めた。パソコンの教育は各課の女子に私が教育をし、スタッフへの教育は各課の女子が教える方法を採り、各課の女子が中心にパソコン化を進める方式を採った、これは女子にもクリエイティブな仕事をして貰うという意味で、格好の仕事と考えたからである。
こうして事務所業務の変革は女子に、現場の変革を男子スタッフにという形態を構築していった。
所内のパソコンシステムは、約一ヵ年で、全国のパソコン先進企業事例発表会(大阪テイジンホール)で発表出来るまでに成長した。
これにより、男子スタッフを事務処理から開放し、毎日、現場の体質改善に専念出来る状態をつくりあげる事が可能となった。
次に、自立した活力ある現場造りに着手した。
狙いは、現場の人達が、ただ毎日の労働力を提供しているだけの現場ではなく、自分達の手で自分達の仕事の質を高めていけ、その活動の中で仕事に対するやり甲斐、しいては人生の生き甲斐を感じる現場づくりであった。
それを達成する為の環境作りとして、鶴見製造所の事務所と現場の組織形態を所長に変えてもらった。事務所は、当時工務課構想があり、それに便乗する形で保全課、機械課、生産管理課、品質管理課のスタッフを集め工務課とし、その中を3つのグループに分け、各グループが現場の製品別のグループを担当し、生産、要員、生産性、保全、品質、在庫、改善の全ての責任を現場の職長と共有化する様にした。一方現場は、直接の区長の下に、従来の直接の班に加え保全班と改善グループを入れ、全ての管理指標に対して、区長とスタッフのリーダーが責任を持ち運営するようにした。
区長が社長で、スタッフのリーダーが専務という自己完結方の小集団組織を造り、そこが一つの独立採算で経営していける状態、現場の区長が経営できる組織形態にしたのである。
私はその二つのグループのリーダーとして活動を開始した。
その活動は私の人生にとって、得るところの多い活動であった。
私は、直接の現場、改善グループ、保全班、区班長に活動の考え方を話し合い、現場改善活動を実践し、職場の体質改善を進めていった。
直接の現場の人達には、現場で物を造っている人達が、これからは主人公であり、その他の人は、現場に食わせてもらっている、現場の人達が一番問題点を知っている、その人達が中心になって、スタッフや改善グループや保全を使い、改善を進める事が強い会社の姿だ、従来のように労働力を提供するだけが、自分の仕事という考え方ではあまりにも自分の人生の大切な時間を使っていると言う事を考えてむなしい事ではないか、これからの現場は、改善する事も重要な仕事として位置付けて、仕事をやってもらいたい、将来、自動化が進めば進むほど、総合的な力を持った現場の人が必要になってくる。その為にも、あなた方が中心になって現場の体質強化をやっていきましょう。
その為にも、これからは毎日、改善で残業してもいいです。改善は大切な仕事です。改善で残業すれば残業手当を付けます、しかし改善で残業や公休出勤をやるのは皆さんの自由意志に任せます。
改善グループに対しては、図面の書き方、NC教育、溶接、加工、等の教育を実施した。一番重要なことは、改善してやるという考え方を捨て、現場に入り現場の人と一緒に作業をやり、現場の人と問題点を共有化し、一緒に改善をすると言う事です。そして、いかに現場の人達を改善に参画させ、自分達がやっているという意識になってもらい、共に改善を進められるかです。又、現場の人は、自分の仕事にムダがあることを知っています。しかし色々なやり難いムリな仕事をしている為、道理が通らないムリを取れば、道理が通ります。先ず、ここが無駄だと言う前にムリを取ってやって下さい。そして現場の人から、ここはムダだなと言って貰える環境を造りましょう。
保全班には、従来の機械を直してやるという考え方をやめ、故障が出たら保全の負け、故障が発生したら、先ず現場の作業者にすみませんと謝り、機械を直しなさい、機械をいかに故障させない様に改善するのかが保全の仕事だ。その為には現場の人達と協力して、平日に計画保全を進め、連休にはみんなと一緒に休める保全体制にしましょう。
区班長には、本来スタッフに頼らなくても、問題を解決し、改善が進められる現場が理想であり、それが体質の強い会社です。そして現場の人達が生き甲斐を感じ、自律的に体質強化ができるよう区班長さんはリーダーシップをとって、自分が経営者という気持ちで現場を経営してください。
こうして、現場の人達と、改善グループと、保全班と、スタッフの四身一体の改善活動を展開したのです。
改善のメインテーマはもちろん、”活力ある職場づくり”である。
改善のやり方は、皆で現状の職場の実態を共有化し、約6ヶ月でどのレベルにするかの数値目標を立てる。そして、改善グループと現場の人達で、問題の工程や機械の部位に荷札を貼る。
荷札は、品質は黄色、生産性は青、機械故障は赤があり、半分に切れる様にし、半分は問題の箇所に、もう半分は現場の大きな改善ボードに貼り、改善担当と日程を話し合い、活動を展開していきました。改善の実施は、原則として、即日実施を行った。
改善には、改善ボードと現場の管理指標を貼り、皆が今の現場の実態が見えるようにし、共有化を計ると共に、所長が現場を見れば、今どの様になっているかが目で見て分かる様にした。
現場の人達も始めは、またスタッフがかっこいい事を言っているが何時まで続く事やら、という半信半疑で参画していたが、時間が経つにつれ、自分からこの改善をやりたいので残業や次の土曜日にやりたい、と自発的に参画してくれるようになった。そしてみんなの目が輝きだした。
私がこの活動の中で感動した一つに、あるラインを、連休を利用して改造することにした。連休は、皆に休んでもらおうと現場の人達には出勤は頼まなかったのに、現場のリーダーが故郷へ帰る飛行機をキャンセルしてまでして参画してくれたことであった。
この活動を通じて、私のグループは、改善活動にかなりの時間を使っているにもかかわらず、生産性は目標を大きくクリアーし、品質(不良率は10分の1)、機械故障(故障率60分の1)、在庫(6分の1)、と指標は所内では一番良い実績を上げ続けた。
又、私がIPS推進室へ移動する時、現場の人や改善グループ、保全の人が、私も一緒に連れて行って下さいと言ってくれたときは、こみ上げてくるものがあった、皆と一緒に改善活動をしてきて良かったなーと、しみじみ感じた。
その後、私か本社のIPS推進室へ移動した後も、現場の人々が顔を出してくれて、あの時は楽しかったなぁーと言ってくれた。
又、鶴見でやった、現場に視点を置いた改善活動を、活性化した現場づくりをISUZU全体で活動できる時代がいつか来ると考え、今もISUZUの現場に足を運んでいます。
最後に、現場で働く人達も、同じ優秀な人間です、人間は、無限の可能性を持っている。その同じ人能力と知恵を、どの様に会社の体質改善に生かしていくかが、今後のISUZUの再建の鍵となると考える。
土井 喜久 |